仙台市民ギャラリー開館20周年記念
会期:1996年3月1日(金)〜3月11日(月)
会場:仙台市民ギャラリー
主催:郷土ゆかりの物故作家回顧展実行委員会
   仙台市民ギャラリー
   仙台市
   仙台市教育委員会
後援:宮城県
   宮城県教育委員会
   (社)宮城県芸術協会
   河北新報社
   NHK仙台放送局・東北放送・仙台放送・ ミヤギテレビ・東日本放送
題字:仙台市長 藤井 黎

ごあいさつ
  仙台市長 藤井 黎
郷土ゆかりの物故作家回顧展を開催するにあたって
  (財)仙台市民ギャラリー理事長 宮城 正俊
物故作家展に寄せて
  実行委員長 小崎 隆夫




ごあいさつ
仙台市長  藤井 黎


 このたび、仙台市民ギャラリー開館20周年を記念して「郷土ゆかりの物故作家回顧展」が開催される運びとなりました。
 
ご承知の通り、市民ギャラリーは読売新聞社及びダイエーのご好意により公共スペースを提供していただいたことが端緒となり昭和50年に開設されました。以来、多くの市民の作品発表の場として、またさまざまな展覧会の場として大いに活用され、その入場者数は累計で200万人を越すに至っております。これもひとえに宮城正俊理事長をはじめ、運営に当たる財団役員並びに関係各位 のお力によるものであり、そのご苦労に対して深甚なる謝意を表するものであります。
 さて、折しも戦後50年を経て、私たちにとっての戦後というものをあらためて見直すさまざまな試みがなされております。今回の展覧会は、戦後亡くなられた郷土ゆかりの画家たちをその作品を通 して紹介するものです。その意味で、ここに、仙台という街が育んだ美術文化を振り返ることができますことは、まさに時宜を得たものと申せましょう。本展覧会の実現のためにご尽力いただいた実行委員会の皆様、また作品を快くお貸し下さったご遺族並びに関係機関の皆様のご厚意に心から御礼を申し上げる次第です。
 21世紀を目前に控え、今、仙台市は来るべき新しい時代のヴィジョンを明確にし、具体的な活動を開始すべき時を迎えております。この展覧会を通 じて、仙台の戦後美術を押し進めてこられた先人達の足跡を偲びつつ、これからの仙台がその文化的な蓄積を世界に向けて発信できる都市となるための手がかりがっかめればと願うものであります。懸案となっておりました新市民ギャラリーの建設につきましては、(仮称)せんだいメディアテークにおける重要な機能として、展示面 積の大幅な拡充ばかりでなく市民の文化創造と発信に対する支援機能を十分に盛り込みながら、新しい時代にふさわしい芸術文化の拠点としての計画を進めているところであり、関係者並びに市民各位 のご理解とご協力をお願い申し上げます。
 最後にこのたびの「郷土ゆかりの物故作家回顧展」に多くの市民の皆様が来場され、仙台の芸術文化の一層の発展につながらんことを祈念いたしまして、ごあいさつといたします。

 

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郷土ゆかりの物故作家回顧展を開催するにあたって
(財)仙台市民ギャラリー理事長  宮城 正俊


 1975年(昭和50)9月に、エコール・ド・パリの画家「キスリング展」をもって開館した仙台市民ギャラリーも、いつしか歳月を重ねて本年20周年を迎えました。たまたま戦後50年の節目にも当たり、改めて振り返ってみますと、さまざまな感慨をもよおさざるを得ません。
 
市民ギャラリー20年の歩みの間に、鬼籍に入られた在仙美術家の方々も相当数におよんでおります。これらの物故美術家の遺業をしのぶ回顧展を、機会を得て開催することは、わたくしども当事者にとりまして、大きな課題であり、懸案でありました。
 
幸いにもこのたび関係者のみなさんの御協力のもとに、開館20周年の記念事業として、本年度の掉尾を飾る開催をみることになりましたのは、何物にも代えがたい喜びであります。
 予定しております回顧展の企画内容は日本画の物故作家10名、洋画30名、作品点数の合計79点となっております。物故作家の大半は、生前わたくしが親しくご交誼願った方々ですが、なかには河北新報紙面 にわたくしからの弔辞をささげた方もおります。日本画の宇野松仙・山下梅せんの両氏、洋画では中原四十二・渋谷栄太郎の両氏と、合わせて四人の画家です。そのほか多くの物故作家の方々の懐かしい在りし日のお元気なお姿、人間味豊かな酒興の上での余話、そして制作にまつわる苦心談、印象に残る作品の数々……。まことに思い出は尽きません。かくして回顧展はご遺族や関係者にとりましても、追懐のよすがとなることでありましょう。
 
また一方で、現在活躍中の美術家はもとより、市民のみなさんにとりましても先輩作家の遺作にふれ、時代の流れ、画壇の流れを知る絶好の展観であると信じます。一人でも多くの方々のご鑑賞を期待してやみません。
 最後になりましたが、出品にご協力くださいましたご遺族の方々はもとより、宮城県美術館、仙台市博物館、河北新報社、さらに作品収蔵家のみなさまに対して心から厚く御礼申しあげます。また本展の企画運営につきましては、実行委員の諸先生方、とくに小崎隆雄実行委員長、小山喜三郎同副委員長のお二人には多大の御尽力を仰ぎました。厚く御礼申しあげます。
 このように各方面のみなさんの善意と協力の上に企画されました本展が、予期以上の成果 を収めることを祈ってごあいさつといたします。


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物故作家展に寄せて
実行委員長  小崎 隆夫


 このたび仙台市民ギャラリー開館20周年を記念して、「郷土ゆかりの物故作家回顧展」を開き、併せて出展全作品をカラーで収録した画集も刊行することになった。市民の皆様、県内外の愛好家の方々のご期待に添える充実した内容になった。まことにご同慶に耐えない。この20年間、市民ギャラリーの果 した役割と、地方文化振興に寄与した業績は筆舌に尽くし難い。このたびの時宜を得た企画に対しても、惜しみない賛辞をおくりたい。
 
出展作品の選定に当たっては、戦後50年の区切りの年でもあり、“戦後物故者名作展”を念頭において、十余名の実行委員が宮城理事長のご指導のもとに、1年間の長期に亘り懸命の努力を重ねた。その労作内容は省略するが、検討候補に挙がった物故作家は160余名に達した。内容の充実を図るため、展示作品は大作を中心にする方針と、合わせて会場壁面の都合から作品数が限定された。原則として一人2点の出品とし、おおよそ30名に絞ることにして作業を進めた。作品の保存状態を所蔵先のご協力を得て調査し、記録写真を撮るなどして検討資料とした。お借りすることになった作品については、本展開催の趣旨をご理解いただくとともに、額装までお気遣いを頂戴してご協力を賜った。展示作品の選定に当たっては、特にご家族の希望も考慮してあり、最終的には、展示壁面ギリギリの79点(40名)の出展となった。惜しくも、今回展示できなかった作家、所蔵先が判らなかった作品についても、他日何等かのこうした機会があればと希う次第である。
 時代が人をつくるように、絵かきも時代の思潮と無縁ではあり得ない。今回の出展作品の中に昭和初期のものが10点ほど入っているが、主として終戦の翌々年から平成4年までの作品が一堂に陳列されているので、戦後半世紀の世の移り変わりを感じとられる回顧展でもあろう。
 概して制作中の作家は、人に観られるということを意識しないように思う。純粋に自分を描き出そうとしているに違いない。しかし、絵は見るものであるから、大切なのは見方をどうするかである。おそらく観覧される方々の中に、作家をご存じの方が多いのではないかと思う。懐かしさや親しみを越えた、新しい発見があるだろうと期待をしている。人々の記憶やノスタルジーなどと結びついた時間・空間であっても、懐古展ではないのであるし、厳然として生の作品がそこに在る限り、感傷的になり得ないであろうと思っている。
 絵かきは一見華やかに見えるかもしれないが、まことに地味である。アトリエに在っても、戸外の制作でも常に孤行で自分と斗っている。世の常の事にかかわる余裕を持てないから孤独といえばそうともいえるが、孤高の域に達していられるとすれば羨ましい限りである。絵かきに孤高の人がいても枯淡の作家はいないのではないか。89歳の北斎が死に際に、旺盛な制作意欲のある胸の中を口にしながら神に悪態をついたというエピソードがあるが、作家には晩年も枯淡もないもののようである。
  「豪雨の後の夜空に出た月はまだ濡れていました。真夜中の海を渡る月(中略)自然の感動を夢中でかきました。」この短文は、ある物故作家の図版の巻頭言である。人はさまざま、絵かきもさまざま。この作家のフォービックな筆致からは想像のできない静寂なことばである。文は人なりというが、絵も人ではないか。
  日頃、私は絵と作家名は結びつくが、その人間性と結びつかない思いがしてもどかしく思っていた。回顧展を観てもその思いは深まるばかりである。そこで``絵は人なり"についてであるが……。
 時代が人をつくるから当然作品もその反映と考えられる。生来の個人的な生活文化・環境も大きなファクターであろうし、又絵は個の表現であるから、その啓発の源である動機がある。“人生は邂逅"というが、絵かきは正にその運命的なものに影響されると思っている。個の表現は苦行の後になる。(なれば幸いである。)本展物故者の一人が、あれほどの佳作を遺しながら「一生に1点でいいからよい絵を描きたい。」といったことが忘れられない。又「大変なことをして絵かきになったと思っているだろう。でも僕たちにはこの道しかないのだからなァー。」と宴席で語られた大家も既に故人となった。先達はみな“絵かきは一生修業じゃ”といっているようである。そのことは甘受するとしても、私の知る限り、先達は優雅で風格があり、しかもユーモラスな面も持ち合わせ、決して窮々とはしていない。どこかに余裕があって、そこから感性豊かな発想と作品が生まれるのではないか。佐伯祐三やゴッホにしても“純粋"さが余裕であったと思っている。
 物故作家展をみても、遺された作品に生の歓びをみてとれるし、永遠の息づかいさえ感じられる。(月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也)───故人は爽やかにそして佳い仕事をし、今もなお私たちとともに心の旅を続けている。

 本展の開催に当たって、ご支援下さった宮城県美術館をはじめ、所蔵家の皆様に心から感謝を申し上げる。委員・関係各位のご尽力並びに、大切な作品の搬送等の重責を担われた結城洋一氏、さらに所蔵先との連絡や膨大な事務を手際よく捌かれたギャラリーの前事務長の木下金治氏、現事務長の松本稔氏と職員に敬意を表する。
 画集の編集・刊行については、特に学芸員の佐藤泰氏と副委員長の小山喜三郎氏のお力添えがあり、笹氣出版印刷のスタッフのすぐれた技術と熱意により、望外の図版の完成をみたことに感謝を申し上げる。


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